先日、ドラマを見ていて、アメリカのエンタメは社会の先頭を行くんだな、とまたも実感(アメリカドラマのインクルージョン関してはこちらの記事もぜひ)。

BULL / ブル 法廷を操る男

裁判が始まる前、陪審員を決める際のコンサルタントの話。

2016年とちょいと前の番組なのですが、詳しい内容はさておき、シーズン1の第2話が「アンコンシャスバイアス(無意識の偏見)」がテーマ(以下この話のネタばれ含みます)。

人種や外見による偏見で、刑が左右されてしまうというのは耳目にしたことがありますでしょうか。

今回は、墜落した飛行機の操縦士の裁判。

パイロット(女性)だけが生き延びて、その操縦責任を問われます。

コンサルが模擬裁判をやったところ、被告(操縦士)が女性だと、陪審員は何度やっても有罪にするけれど、男性に変えただけで無罪にする(「男性は頼もしい、ミスはしない」、「女性は冷静に判断できない」というような偏見)。

その無意識の偏見を、本当の裁判で陪審員に認知させるというストーリー。

以前も書いたのですが、エンタメでこういうトピックや言葉(アンコンシャスバイアス)を伝えるの、すごいっすね。

説教臭くなくないのに、視聴者ははっとするというか。


□■□■□■□■□□■□■□■□■□□■□■□■□■□


実は、NHKの番組「ブラタモリ」が苦手。

「若い女性は何も知らない」というステレオタイプを見せられて辛いから。

ニュースで、若い女性がただ頷いて聞く役、みたいな。

嫌なら見なければ、と言われそうなのですが、
私の周囲にも番組のファンは多く、「ゆるジオ」は似ていると言われるので、時々見たこともあったのです。

学会でも、地質学を一般に広めたとのことで、この番組の制作チームに賞を贈っていたのですが、(あんまり取り上げられない分野だからって・笑)細かいことはさておき、普及できればOKではなく、ダイバーシティ&インクルージョンの観点を大事にする欧米での活動に目を向けてほしいな~と(これに関してはこちらの記事もぜひ)。

一つの分野で良い実践をしているからと言って、他の分野の害を相殺(オフセット)できない。」

「指導者養成セミナー『ビジネスと人権』ーESGと人権デューデリジェンスが変える世界」
 氏家啓一(一般社団法人グローバル・コンパクト・ネットワーク・ジャパン事務局次長)、2021年


「そんなつもりじゃない」とか、「気にしすぎ」とか、ご意見が出ると思うのですが、ジェンダーギャップ指数116位(146ヶ国中)と評価されている日本ですので、「違う視点があるのかも」とちらっとでも思いをはせていただければ嬉しいです(今まで気にならなかった人、「気にしすぎ」と言える人は、マジョリティの特権があるということに目を向けていただけるのであれば嬉しいです。これについてはこちらの記事をぜひ。)

少し前までの欧米の映画で、アジア人がステレオタイプな役(もちろんヒーローではない)を演じているのを見て、微妙な気持ち(急にしらける)になるのを想像していただければと(作り手のマジョリティである白人は悪気なく、アジア人の視聴者の気持ちに気が付かなかったのだと)。

フェミニズムの話は、他のトピックよりバックラッシュ(反発)が強いので、私もあんな風に言われるんだと怖くてずっと我慢してきたのですが、歴史は黙っていなかった人のおかげ。

「行儀のよい女性が 歴史をつくることは稀。 (ローレル・サッチャー・ウルリッヒ)」

存在しない女たち」、
キャロライン・クリアド=ペレス 著、2020年

私に選挙権があって、自分で働けるのも、これまで名もなき人たちが我慢しなかったから。
映画「未来を花束にして」(2015年)
(内容は暴力についての賛否両論になってしまうかと思うのですが、女性の参政権に関してこのような歴史があることは知っておいて損はないかと。)

美徳とされる「自分さえ我慢すれば」は、歴史的に見ると世の中を良くしていないので、若い人に、今より少しでも生きやすい、公平な社会を残すことをしたいなと、小さなことですが、勇気を振り絞ってみた、ギュー( `ー´)ノ(若い世代の特に女性に、胸を張っておススメできる番組になってほしい)


というか、先日、大学における「ダイバーシティ&インクルージョン」について、研究者のみなさまに「黙っているのは差別に加担している」とエラソーにお話したので、自分自身も言ったことは実行しなければと思った次第です。
中央大学のダイバーシティ&インクルージョンに関するイベントチラシ
参加された先生方に教えてもらって、私自身もハッとすることがたくさんありました。

正直、東大の副学長でもジェンダー平等に関して、(欧米並みに)理解してもらうのはめちゃくちゃ大変そうな様子ですので、私の話なんて、吹けば飛ぶようなものですが、これまで、ずっと我慢してきた人たちの声に耳を傾けていただける寛容さが、読んでくださっている方にあると信じて。

「クオーター制(職員等でマイノリティの割合を一定にする制度)について、合意と取ろうとすると、その話をまとめるだけで、私の1日、1週間、1ヶ月、365日全てがつぶれる(合意がとれない)。」(1時間18分~)

日本記者クラブ「ジェンダーと教育・研究」(2)  林香里氏(東京大学理事・副学長)、2021年

林先生、(陰ながら)めっちゃ応援していまっせ!!
(この記事は2022年5月に書いたのですが、11月に
東大も2027年度までに女性の教授と准教授、合わせておよそ300人を新たに採用する計画を発表するなど嬉しい驚きが。)

このような話をすると、責められている感じがするので、避けてしまう人が多いのですが、フェミニズムって、多くの人がラクになる思想なんですよね。

「男らしくない」、「男は稼がなきゃ」等々の呪縛もなくなるのですから。

私は男でフェミニストです」、チェ・スンボム 著、2021年

「男たちに提案したい。声を上げる女性を抑圧する時間で自分を振り返り、フェミニズムを勉強しよう。時代が読み取れず、淘汰されることのないようにしよう。一緒にフェミニストになろう。失うものはマンボックス(男性をめぐる固定観念)で、得るものは全世界となるだろう。」


私も自分がマジョリティとなっていることでは、気が付いていないことはたくさんあって、言われると責められているように感じてしまい、居心地悪かったり、反発したくなったりすることも多々。

でも、(優等生的ではありますが)知ろうとせず、誰かを踏みつけ続ける自分はアカンと言い聞かせて。

「男だからよくわからないんです、学ばないと」(私は男でフェミニストです」)


そして、見て見ないふりをすることは、マイノリティだけでなく、誰にとってもよいことにはならないのだと。

「セクハラを許す場は、パワハラも許す。」

ハラスメントの境界線」、白河桃子 著、2019年


□■□■□■□■□□■□■□■□■□□■□■□■□■□

日本の博物館では、「インクルージョン」というと「マイノリティへのサービス改善」と認識されてしまうのですが、本質的には、「社会の構造自体における不平等について認識を持つ」ということなんですよね。

2020年に国立歴史民俗博物館で開催された企画展「性差(ジェンダー)の日本史」を紹介する動画(ニコニコ美術館)。

コロナで見に行けなかった方は多いと思いますので、リバイバルでよかったら。

和田彩花氏の
自分には歴史が味方している」という言葉にぐっと来るとともに、若い世代でも、やっぱりまだ抑圧されているんだと感じて、苦しくもあり(これに関してはこちらの記事もぜひ)。


世界では、博物館が伝える歴史は「マジョリティ」の歴史だと言われています。

それは「中立」でも、「正しい」ものでもありません。


「実は『中立』や『客観』って、マジョリティの立場に立つことなんですよ。それは強者の眼差しなんです。」

「DV被害者の告白が信用されないという問題はなぜ起きてしまうのか」、信田さよ子(原宿カウンセリングセンター所長・当時)、2021年、cakes(2022年8月31日で閉鎖したため、原文は見られなくなっています)


世界の博物館では、自分達の博物館において、このことを見直すことが喫緊の課題になっているということに、日本の博物館関係者が目を向けてくれるよう日々奮闘中。


□■□■□■□■□□■□■□■□■□□■□■□■□■□


今回、すんごく説教臭く書いてしまいましたが、アメリカドラマみたいに伝えられたらいいのにと七転八倒!

要するに、歌手のビョークが約30年前にかっこよく表現していますので、動画をぜひ↓


「フェミはなんでこんな色々と文句つけるんだ?🤔」


「男性は普段何も考えなくてもいいの。
ふざけてたり、太ってたり、面白かったり、知性的だったり、ハードコアだったり、官能的だったり、哲学的であってもいい。
でもね、女性はいつも『女性らしく』。
フェミニンで、フェミニンでいなくちゃいけない。
『これからは女性の時代』なんて言う人もいるけど、そんなのクソッタレだと思う、でしょ?
私は女性が自分らしく生きられるようになってほしいと思っている。
第一にも、第二にも、第三にも自分らしく。
十番目くらいに、たまたま女性だった。
そう、あなたがたまたまスペイン人で、私がたまたまアイスランド人であるようにね。」