今回は「博物館で働く学芸員を志す学生に伝えたいことをたった一つ」と言われたなら必ずする話を。

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東日本大震災の時、みなさんはどこで何をされていたででしょうか。

私は特別展「シーラカンスの謎に迫る」の準備のため、博物館内で標本を並べたりしていました。

特別展「シーラカンスの謎に迫る」チラシ
特別展のチラシ。


その時、県外の人からの電話で震災を知るぐらい私のいた福井市は揺れず、一週間ほどたった3月19日の特別展オープンにも全く影響がないなど、震災そのものについては私が語れることはありません。

ただ、この特別展には福島県いわき市にある水族館「アクアマリンふくしま」から資料をお借りして展示をすることになっていました。

アクアマリンふくしま外観
アクアマリンふくしまの外観(この写真は2012年11月撮影)。


資料はこの時すでにお借りしていて、特別展自体には問題なかったのですが、1月にも打ち合わせで訪問したりしていいたため、それまでやりとりしていたアクアマリンふくしまのスタッフの方にあわててメールを送りました。

それから数日後、「館内にいた来館者、スタッフはみんな無事です」とのメールが来て、ほっとしました。


しかしながら、停電等で水温や酸素のコントロールができなくなったため、彼らは手塩にかけて育てた生き物たちが一匹、一匹と死んでいくのを見ているしかない状況になっていました。


そしていただいたメールには、

「アクアマリンふくしまのシーラカンスの情報が流れているのは、貴館(私の働いていた館)だけになってしまいましたので何卒よろしくお願いします。」

とありました。


このメールを見た時、これまでアクアマリンふくしまがやってきたことを託された気持ちがし「私の責任は重い」と感じました。

アクアマリンふくしまで展示されていたシーラカンス
アクアマリンふくしまで展示されていたシーラカンス。


そして、何かできないかと思うものの、物資や金銭面では色々な壁があり、地方の自然史博物館として支援できることを見つけられませんでした(全国の水族館は生き物を預かるなど支援されておりました)。

何もできない自分を悔しく思っていた時、自分が逆の立場だったら何が一番必要か、という原点に立ち戻ることを思い出しました。

そしてそれは、「自分たちの研究の成果やその展示を待っている人がいる」ということを知れること、すなわちモチベーションではないかと。


そこで、展示の横に小さなスペースですが、アクアマリンふくしまの状況とアクアマリンふくしまの研究成果を展示していることを伝えるパネルを作り、メッセージがあれば書いてくださいというコーナーを設けました。

展示室につくったメッセージコーナー
展示室につくったメッセージコーナー。


「シーラカンス展を通じて、アクアマリンふくしまの存在を知り、一度訪れてみたいと思っていた矢先の被害にただびっくりするばかりです。復興といっても本当に気が遠くなるような気がしますが、シーラカンスの貴重な研究の成果を待ち続けているファンが1人でもいる事を知ってもらって頑張っていただけたらと願うばかりです。」(40代、女性)


「大変だと思いますが、頑張ってください。地方でもこの様な特別展を見ることができ、ありがたく思っています。」(30代、男性)


「シーラカンスは気が遠くなる程長い間続いてきた生き物ですね。人間の歴史がちっぽけに見えてきます。福島の方々が今苦しい日々を過ごしておられると思うと、胸が痛みます。私も子供の時に『福井大震災』に遭い、大切な友人や住む家をなくし、大人になった今もその時の経験を生々しく覚えています。みんなにもきっと大きな華が待っていて、あの時頑張ってよかったと思える時が来ます。」(70代、女性)


私では到底かけることのできない経験者からの励ましや、地方の博物館での展示の意義など、私にとっても沁みる言葉があふれていました。

そして、郵便も届かない状況だったので、数日に1回、たまったメッセージをスキャンしてメールで送り続けました。


「いつも力強いメッセージをありがとうございます。アクアマリンふくしまは復興に向けて少しずつですが、動き出しています。いずれ今までを超える水族館として復活したいと思っています。元のとおりではつまらないですからね。頑張ります。」


アクアマリンふくしまからこのお返事をいただいた時、いい意味で「負けた...」と思いました。

励まさなきゃ、何かしてあげなければ、と勝手に思っていたのに「今までを超える水族館」、「元のとおりではつまらない」という、もっともっと先を見ているガッツのある言葉を読んでいると、逆に私が背中を押されているようでした。


この特別展が終わった後の同年(2011年)6月に、200通以上集まったメッセージの原本を届けるため、閉館していたアクアマリンふくしまを個人的に訪れました。

事務室の窓には、メールで送ったメッセージをプリントアウトしたものが貼ってあり、ちょっとは役に立てたのかな、と思ったりしながら暗い館内をちらっと見たりしました。

アクアマリンふくしまに掲示してあった全国から寄せらたメッセージ
全国から寄せられたメッセージ。右側の本棚の上のメッセージが持っていったもの(この写真は2011年9月に事務室はなく展示室で撮影)。


メッセージを書いてくださった方々にも、「ちゃんとみなさんの思いを届けましたよ」ということを伝えたく、地元の新聞にも掲載していただきました。

メッセージを届けたことを伝える新聞記事
来館者のメッセージを届けたことを伝える新聞記事のイメージ。


そしてなんとその1ヶ月後、震災からはたった4ヶ月後の7月、水族館の前の信号機ひとつまだ動いていないような状況ながらも、「復興ののろしになる」と言ってアクアマリンふくしまは再オープンしました。

全国の水族館が支援したとはいえ、飼育していた生き物はほぼ全滅したのにですよ。

アクアマリンふくしま前の信号機
アクアマリンふくしまの前にある故障中の信号機(写真は2011年6月撮影。7月にもなおってはいない。)


そして9月、再オープンしたアクアマリンふくしまを見学するために、その年三度目のいわき市を訪れました。

駅からのバスすらまだ復旧していなかったので、タクシーで水族館に向かうことに。

タクシーの運転手さんは、「あそこまで水がきた」、「この看板曲がっているだろ」等、まだ町のいたるところに残る爪痕について話していました。

アクアマリンふくしままでの道にある壊れた道路標識
アクアマリンふくしま付近にある道路標識。何かがぶつかった後が残る(この写真は2012年11月撮影)。


そして、私はアクアマリンふくしまの応援をしていたことは特に話さず、ただ聞いていたにもかかわらず、運転手さんが誰に言うとでもなく絞りだすようにぽつり。

「いや~アクアマリンふくしまはがんばったよね、本当にがんばったよね...」と。


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この話を講義ですると、8年たった今も言葉に詰まってしまいます。

そして「みなさんもこんな風に地元の人に言われるような博物館を作ってほしい」と。



私自身、たいしたことはできなかったけれど、私が博物館で働いて学んだこと、そして伝えたいことのすべてです。


ごんべあいす
シーラカンスの生息地(アフリカ)での呼び名「ゴンベッサ」にちなんだ「ごんべあいす」。アクアマリンふくしまのショップで売っています。レストランには「ごんべ焼き」もあるのでぜひ。